一億円に死ぬほど執着してた話

昔から、一億円が欲しかった。

一億円の貯金があるか、
自分のビジネスの年商が一億円なのか、

そんなことはどうでもいい。

とにかく、

「貯金?一億円くらいかな?」とか
「年商?一億円だけど?(ドヤァ)」とか、

そんなセリフが言いたかった。

自己啓発本を読むと、

そういう願望は紙に貼ったり
口に出したりするのが良いらしい。

ということで3年前から

「私は一億円、稼ぐ」
「一億円、ある!」

と毎日、唱えはじめた。

トイレには一億円!と書いた紙も貼った。

「今はまだまだだけど、
実は一億円目指してるんだよね…ヘヘヘ」

と、いろんな人にその願望を話したりもした。

そうして一億円を意識しだしてから
結果どうなったかと言えば、

年収はガタ落ちし、

貯金額は一切
増えも減りもしなかった。

あ、あれ…?

おかしいな。

3年あれば今頃は一億円、
あるはずだったのだけれど…。

私の夢は見事に玉砕したのだった。





最近知ったこと。

私たちの願いは必ず叶う。

ただし、

本当に願っていれば、の話に限る。

つまり、

一億円を手に出来なかった私は
実際のところ、

この三年間で一度も心の底から欲しいなんて
願っていなかったらしい。

それどころか、

何かを引き寄せようとして
口に出す言葉はその言葉の意味よりも、

私たちの本当の気持ちの方に現実は反応する。

例えば、私は
「一億円ある」と発言するときに、

「本当は無いけど」
と心のどこかで考えている。

そして、恐ろしいかな
本当に現実が反応するのはその気持ちの方で。

つまり、この3年間、
私は永遠に

「一億円、無い!」
「一億円稼ぐとか、無理!」

と宣言し続けていたらしい。

我ながら、
えらいことをし続けてしまった。





話を戻す。

一億円が現実に
手にできなかったということは、

私は本当は心から望んでなどいなかった
ということがハッキリした。

でもなぜ、それなのに、
私はあれほど一億円に執着していたのか?

自分を愛するようになってようやく、
私はその理由に気づいた。

それは、

私は一億円を自分を守る盾にしたかった
ということだった。

私には、何の取り柄も無い。
キャリアも無ければ人脈も無く、

二度見されるような美しいルックスも、
聡明な頭脳も持ち合わせていない。

そしてこれからの未来でも、
急にそうした

人より優れた「誇れる何か」が
手に入るとは思えなかった。

何も取り柄がない自分。

そんな自分は、
生きてる価値がないと、

私は焦燥していた。

だから、
私にはお金が必要だった。

一億円あれば。

もしくは、
一億円を稼げるほどの人間ならば。

私の命に一億円という価値が
担保される気がした。

一億円があれば、
きっと人に誇れる自分でいられる。

そしたら、きっと…

人にも「価値があるね」と
愛してもらえる。

人に愛してもらえたらようやく、
私は自分を愛せる。

そう、私は

自分を愛するために
一億円を欲していたのだった。





私は自分を愛するようになってから
この時の気持ちに気づいた。

その時、過去の自分がなんだか
可哀想な愛おしいような…

とにかく、
いたたまれない気持ちになった。

自分を愛そうと頑張っていた自分は愛おしい。

それでも、そんな方法じゃなくたって、
簡単に自分を愛することはできるんだぞ!

と過去の自分に伝えられるものなら
伝えたい。





私と同じく空虚な夢、

ダミーな願望を
掴もうとしている人へ。

あなたはなぜ、
お金が欲しいのか。

それは心に空いた何かを、
埋めようとしていないか。

いいか、みんな。

お金そのものに愛はないぞ。

その空洞を満たせるのは、
私たち自身しかないんだぞ。





ちなみに空いた穴を修繕して
空洞を自分の愛でたぷたぷ満たした今の私は、

お金なんぞどうでもいいと
心の底から思えるようになった。

しかし面白いことに
だからこそ、

これからの未来はお金に
愛されてしまうんだろうと確信してる。

なんで?って聞かれてもそこはまだ
上手く言葉にはできないけど、

そうなるんだもん。って確信がある。

まぁ、そんなことは今はどうでもいいのさ。

とにかく自分を愛した私には、
もう一億円なんて盾はいらない。

私自身に、お金以上の価値があるもの。

それは、みんなも同じだよ。
ほんとだよ。

ほなほな。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

comment

コメントする

目次