身の回りの物は、自分の分身。

自分の身の回りの物=自分の分身

という悟りを最近、ひらきました!

事の発端は、爪のケア。





さて。有名な話だけれど、

”脳は主語を認識できない”

というお話、
皆さんはご存知でしょうか。

例えば、

「この人のこと、めっちゃ嫌い~!」

と声に出すと、

脳は【この人】をすっ飛ばして、
【めっちゃ嫌い】だけ拾うんですって。

しかも主語は勝手に自分になってるんだとか。

つまり上のセリフは、

「私、私のことめっちゃ嫌い~!」

って言ってるのと同じなんだって。

だから人の悪口を言うと、
自分の悪口を言ってるのと同じだから、
やめときやっていうお話。

有名なので、
ご存知の方も多いかもしれないですね。





ところで、最近お家での身なりを、
脱オバハン化して、もう少し綺麗になりたい!

という意識が高まっている私は、

先日、急に自分の手先が気になりはじめました。

きっとお家でのお洋服や髪型に
少し気を遣うようになったら、

手を加えていない
汚いところが浮いてしまったのだと思う(笑)

とはいえ、だからといって急に
ネイルサロンに行くのは敷居が高かった…!

そもそも爪の上に
プラスチックみたいなものを乗っけて、

それを”硬化させる”という状況が
なんとも、恐ろしく(笑)





あと、しょっちゅう爪を切るので、
安易に切れないことも、
(分からんけど)ストレスになりそう。

ということで調べてみると、
どうやら自分で爪先はある程度ケアできるらしい。

”甘皮ケア”って言うそうな。

「ほう!ワイも甘皮ケアしてみたス!」

ということで、爪用品が充実と
噂されているセリアへ行ってみたところ、

たしかに!
ネットで必要だと書かれていた道具が
見事全部そろった。

しかも総額500円という破格で…
セリア様様です!

「いぇえええええい!」

新しい道具をこしらえ家へ帰り、
さっそく甘皮ケアをしてみる。

初めてのことで難しく、
爪の下をガンガン付いていたら、

みるみる爪が傷だらけになってきた…。

「なんやこれ!なんでや!!」

と修正しようとすると、
こんどは流血した(笑)

一人騒いでいると、夫から

「そこ甘皮ちゃうで」
と、ご指摘を頂いた(なんで知ってるん)

加えて、
YouTubeなどを見ながら軌道修正し、

どうにか左手のみに1時間ほどもかけ、
ようやく一連の流れをやってのけた。

するとまぁ~

爪が見たこともないほど、艶っ艶に…!!

完成した左手と右手を比べてみると、

女子高生の手先と、長年使い込まれた
おじいちゃんの手先くらい違った(笑)

感動して、しばし、

蛍光灯の明かりを美しく照り返す
自分の親指を、堪能してみる。

光を上下に動かしたり、
左右に揺らめかせたり…

こんなにも我が人生で、

親指が存在感を出してきたことは
一度も無かった!

「はぁ…綺麗」

と何度も繰り返した。

「ねぇ、見て、綺麗でしょ」

と夫に何度も見せつけたりもした(笑)

「嬉しい~こんなに綺麗になるなんて~
すごいよー」

と阿呆のように連呼した。

そしてふと、
冒頭の言葉を思い出した。

”脳は主語を認識できない”

その瞬間、あることにふと、
気がついた。





私は今、自分の爪のことをほめていた。

あくまでも爪を、綺麗って言ってた。

でも、脳が主語を汲み取れないのだとしたら…

今の私の状況は、

自分を綺麗だと何度も褒めているのと
同じなのでは?

それって要は、
めっちゃ綺麗になるコツなのでは…!?

うわぁあ凄いことに気づいてしまった!!





そう考えると、確かに、

爪先を彩る女性たちに
綺麗な人が多い理由が納得できた。

彼女たちは、お気に入りのネイルを見て
”カワイイ”と思うことで、

毎日毎日、自分に「可愛いね」と
暗示をかけていたのだ…!!

なんと!

皆、そんなライフハックみたいなこと、
やってのけていたのか!と嫉妬した(笑)





なるほど、爪先は自分への暗示になるのか…。
と考えたとき、さらにあることに気づいた。

「それって爪先の話だけでなく、
もはや身の回りの物すべてに
当てはまる話では…?」と。

つまり。

自分が心躍るマグカップを買えば、

使うたびに「カワイイ」「素敵」と
自分に暗示をかけることになる。

いまいちなマグカップを買えば
「気に食わん」と暗示をかけることになる。

身の回りの物への意識は、
自分自身へ跳ね返ってくる。

ということは、これはもう明白に、

身の回りの物=自分の分身

と言えるのだということを…!!





そのことに気づいた私は、翌日、
猛烈に断捨離をした。

その間終始、
頭の中ではこう考えていた。

「これは私の分身にふさわしい?」
「私の分身だと言いたい?」

そう思うと、持ち続けたいもの、
そうでないものが明確になった。

首元がヨレて
「なんかきちゃないなぁ」
と思いつつも着ていた服は捨てた。

それを分身と言いたくなかった(笑)

代わりにゆとりができたクローゼットには、
鮮やかな水色のカーディガンが仲間入りした。

私の今の気持ちを
体現してくれるような色だと思った。




31年も生きれば、

”物を大切に扱えない人が、
自分を大切に出来るわけがない。”

といった類の言葉を、これまで
何度も耳にする機会があった。

たしかに、言いたいことは分かる。
なんとなく、そうなんだろうとも、思う。

しかしこれまでの私には
その真意はよく分からなった。

「いやいや~いうて、
みんな物と人は、区別できるでしょ?」

と小ばかにし、一蹴していた。

でも、今なら、分かる。

物への意識、評価、扱いは、
自分への意識、評価、扱いと同じ。

脳は主語を認識できないからね。

だから物を大事に丁寧に、

「今日もありがとう」

と扱える人は、たしかに自分を
大事にしていることと同じだったんだ。

昔から言われてることは、正しかった!

そんなことを気づいて、
物を見直してみた31歳の春なのでした。

みんなは、自分の分身だって
胸をはって言える物に、

ちゃんと囲まれてる?





ほなほな~

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