やっぱり流産でした|妊娠8w

昨日、産婦人科へ行ってきて、
やっぱり予想通り、

8週目でも胎嚢は空っぽでした。

2回連続で流産になったとき、
私の気持ちはもう、
もたないかもしれない。

以前の日記にはそう、残しましたが、
実際のところどうだったのか。

今日は気持ちをブログに残したいと思います。

目次

2人目も難しいとの診断。その時、私は

エコーで映し出された胎嚢は
先週よりも2倍の大きさになっていましたが、

いびつな形をしていて、
その中身は空っぽでした。

先生が無言で赤ちゃんがどこにいるか、
必死で探してくれているのを横目に、

私の頭は不思議ととても冷静で、

「あぁ、やっぱりな」

という感情しかありませんでした。

先生から

「大きさ的には9週目なんだけど、
この大きさで何も見えないのは
難しいかもしれない…」

と伝えられた時、

自分でも笑ってしまうほど

「そうですね。そう思います。」

と沈着な態度でした。

その時の私の気持ちは正直、

悲しいのかな?
わたし今、どんな気持ちなんだろう?

と自分でもよく分かりませんでした。

悲しみのピークは宣告前

ところでどうしてそう、
冷静であれたかというと、

正直悲しみのピークはその日より
2日前に来ていたからでした。

それまでは
日に日につわりがひどくなって、

食べる量が減り、
肉や魚はもちろん、
お米すら嫌だったのが、

ある時から段々、
食べられるように戻ってきていたのです。

あれほどしんどかった夕方が、
しんどくない。

お風呂に浸かって体温が上がっても、
気持ち悪くない。

何かがおかしい、と感じていました。

夫にももちろん、伝えました。

それに対し夫は、

「つわりは別にバロメータ―じゃないやろ。
軽くなってる人もネットにはたくさんいるし」

と言ってくれていたけれど、

そっか。じゃあ大丈夫か。

とはなりませんでした。

というのも、同時にまたお腹に宿る
”生命力”も感じなくなっていたのです。

それからの日々は、地獄でした。

仕事をしても本を読もうにも、
上の空。何も手につきませんでした。

「おはよう」

ってお腹に声を話しかけても、

ある時からまるで何もない空間に
話しかけているような気がしていました。

だれも、私の言葉を
受け止めてくれていない。

そこにもう、いないの?

と何度疑った事でしょうか。

それから3日後ほどたったとき、

その日はなぜか、

見るのも嫌だったあのお米が、
艶やかに見えました。

炊き立てのごはんが、
良い香りだと感じてしまったのです。

私は、そこで確信しました。

「もうダメ。赤ちゃん、
死んじゃった」

そういって唐突に大泣きし始めました。

身体の変化を直に感じていない分、
夫には、

「今日はえらい悲観的やな…」
と言われましたが、

私にとってこの日こそが、
本能的に赤ちゃんがもう居ないと
悟った日だったのです。

悲しみは怒りへ

ぐしゃぐしゃな気持ちを抱えたまま
布団に潜り込み、

もういないんだ…

と思うと胸がえぐられそうでした。

それから悲しみはだんだん、
激しい怒りに変わりました。

この世のすべてが何もかもが憎く、
感じました。

当たり前のように苦労せず、

妊娠出産している人が
この世の中にはたくさんいることも。

期待通りに慰めてくれない夫の態度も。

そしてなにより、

生きる意思なく
私のお腹にやってきたこの子が一番。

憎くて憎くて、たまりませんでした。

「生きるつもりがないなら、
二度とくるな!」

と言ってお腹を殴りました。

一度目の流産ではまた会おうって、
感謝いっぱいでさようならできたけれど

2度目の私にはそんな余裕、
ありませんでした。

子供が一人もいない状況で
2回も私をこれほど苦しめるなんて、

大嫌い。大嫌い…!!

はやく出てって!

と、心の中はめちゃくちゃでした。





それから翌朝、
起きた私の気持ちは

昨夜と打って変わって穏やかでした。

”もういない”

ということを、
しっかりと受け止めることが出来ていました。

なので夫には、

「明日検診に行くけど、それは
ダメなのを確認しにいく日だよ」

と伝えました。

夫はまだ分からんやん。と言って、
いつも通り

「おはよう」

と私のお腹に手を当てましたが、

私にはその挨拶は空洞に向かって
放たれたように感じました。

これからどうする?

それから翌日、上記の結果となりました。

このように、2日前に錯乱状態に陥るほど、
私は取り乱していたからこそ、

もうその当日には平気でいられたのです。

家に帰ってからは、
なんとなくこんな時こそご馳走を食べたい!
と思い、

近くの大好きな
インドカレー屋さんへ行きました。

おいしいご飯を食べていたら、
みるみる元気が出てきました。

そして、
今後について話し合いが始まったとき、

夫は意外にも

「2人で生きる道を探している」

と言ったのでした。

「結婚してからさ、
ここまで大泣きすることって、
あんまりなかったよね?」

「妊活って時間もかかるけど、
なによりメンタルが苦しいやん。」

「こんなに苦しい思いしてまで
子どもを作らなきゃって思わん」

「なんなら二人の方が金銭的な心配は
しなくて良いから、ワイは自由を感じる。」

「二人で共通の趣味見つけたりしてさ。
二人の人生でもいいんちゃう?」

この時はハッキリ伝えられなかったけれど、
夫がこういうスタンスでいてくれるのは、

私としては本当に嬉しいです。

特に

ここまで苦しい思いをしてまで、
子どもが欲しいのか

という発言は、かなり響きました。

確かに…

二人で生きるって決めたら、
楽なんだろうな。

二人でのんびり、すきなところで
暮らしても良いかもしれない。

でも…

「私はもう一回チャレンジしたい」

おかわりしたナンをほお張りながら、
私は伝えました。

「なんとなくさ、
3回目こそはうまくいく気がするねん。
ほんまに勘やけど」

そう、ほんとに勘でしかないんですが、
なんとなく。なんとなく、

次こそはうまくいく気がするのです。

実は2回目は、

”2回連続の流産あるかも”
って授かる前から予感がありました。

本当です。事実になってほしくなくて
口には出していませんでしたが。

「そっか。じゃあ、そう言うなら、
3回目頑張ってみようか。
なんかワイも頑張れる気がしてきた…!」

と夫も言ってくれました。

それから帰って、色々調べ、
2つのことを決めました。

まず流産手術が終わったら、
”不育症の検査を受けること”

今回2回とも成長が遅く、
うまく育たなかったので、

自分が不育症ではないかと疑っています。

特にピルを長年飲んでいたので、
「血栓ができやすい人」に該当する確率が
かなり高そうだと感じてます。

そしてもう一つは、次は
シリンジ法を導入してタイミングをはかること

これでかなり楽になるはずです。

夫はシリンジ法なら一日2回でも
提供してあげると言ってくれています(笑)

人生が、豊かになるね

色々と決めた時点で
もう時刻は夜でした。

一緒にお風呂に入りながら、

「いや~でも
2回連続はまさかだったねぇ」

なんて話をしていました。

「人生何が起こるか分からんね」

ねー。っと返事をした後、
私の口から

「人生が色濃くなっていくね」

という感想が出ました。

そうすると夫が

「豊かになっていくなぁ」

と言いました。

あぁ、素敵。

こうやって考えられる私たちが、
私は本当に好き。

辛い経験も彩られて、

私の人生にはより、深みが増してきた。

誰のものでもない私の人生。

それを贅沢に、
たっぷり味わい尽くしています。





きっといつか、
この日はこんな意味があったって、

言える日がまた来ます。

人生の出来事は、どんな悲しいことも、
意味を見出せたら勝ちなんです。

以上がリアルタイムで書いた日記でした。最後は前を向いていますが、実際は大ダメージを追っていて、この後地獄のような日々を過ごしました。詳しくは下記の流産まとめをご覧ください。

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