2022年は散々な年でした。
初めての妊娠に大喜びした
第一子は7月に流産。
そして9月に妊娠が発覚した第二子は
11月に流産となりました。
これで2回続けての流産です。
わたしには、まだ子供は一人もいません。
今回の体験談は実は、元々リアルタイムで
ブログに日記として残していたのですが、
あまりに心境や文章がめちゃくちゃだったため、
こちらにまとめ直しました。
この体験談や心境を、
必要な方に届けられると嬉しいです。
この一連の体験談は下記ラジオでもお話しました。
【5w6d】妊娠発覚するも、成長が1週間遅れ。
まず妊娠したというのは2回目ですし、
胸のハリやおりものの増加等、
明らかな体調の変化ですぐに気づきました。
4週に差し掛かったころ、
朝一番に妊娠検査薬を使用したら、
尿につけた瞬間陽性が出て、
まだ寝ぼけている夫に
「見て!」
と言って抱き着いたのを覚えています。
まだ4週目でしたが、
その時点で既に体調の変化が
1度目の流産の時よりハッキリしていたため、
”とても生命力を感じる…!”
”今回こそは、絶対大丈夫!”
と最初はそう、思っていました。
それから1週間待って、
5週の終わりに婦人科へ行き、
検査をしてもらうと、
小さな胎嚢が見えました。
ただ、
「今4週くらいの大きさだね。
排卵が1週間くらい遅れていたのかな?」
という診断がなされてしまい、
この時、
私は目の前が真っ暗になりました。
何故なら、今回は排卵の当日と翌日しか
タイミングを取っておらず、
妊娠がズレるはずが無かったからです。
また、前回流産したときも全く同じ言葉を
告げられていたので、
”成長が遅い=難しい”
という法則が頭の中で
出来上がっていた私には、
その日の診断は
絶望でしかありませんでした。
(一度流産してしまうと、
胎嚢の平均サイズだとか、
変に知識ばかり増えるんですよね…)
車で待つ夫の元へ戻ると
一気に緊張がほぐれ、
「また流産するかもしれない…」
と泣いてしまいました。
「大丈夫、まだ分からんやん!」
と励まされましたが、
それから1週間は前向きになったり、
前向きになったかと思えば、
やっぱりもうダメ…と落ち込んだり、
精神的に不安定になり始めました。
【6w6d】つわりが無くなり、流産を確信
そして長く長く感じた1週間を経て、
また婦人科へ行くも、
やはり7週というのに、胎嚢のサイズは
2センチしかありませんでした。
前より倍ほど、大きくなった!
というのは嬉しかったですが、
肝心の赤ちゃんはどこにも見えず、
また不安な気持ちで
診察を終える結果となりました。
ただ、不安ではあったのですが、
この時点では前回の妊娠と違って、
つわりがあることが、
私にとっては唯一の希望でした。
「つわりがあるから、きっと大丈夫」
そう思っていたのですが…
その数日後、突然、
つわりが急に軽くなったのです。
ご飯もいつもより、
しっかり食べることが出来ました。
「なんか不安…」
「でもこんな日もあるのかな…?」
と思った矢先、
その翌日もやはりしっかりと
食べることが出来て、
いよいよ変だと感じ始めました。
そして3日後にはとうとう、
見るのも嫌だったお米が、
艶やかに見えてしまいました。
その瞬間、私は
赤ちゃんがこの世から去ってしまった事を
直感的に悟りました。
「もういなくなっちゃった…」
「赤ちゃん、死んじゃった!」
と、お腹を押さえ、
唐突に大泣きし始めました。
「つわりは妊娠継続の
バロメーターじゃないやんか…」
と夫には励まされるものの、
本能的にこの1週間、
私は自分の身体そのもので、
もう明らかに、居ない。
ということを、ハッキリと
確信してしまったのです。
2度目の流産を確信したときの感情
そうして2度目の流産を確信したとき、
私の心を支配した一番の感情は
悲しみではなく、
実は”怒り”でした。
何に対してかというと、
お腹のこの子に対して、です。
「どうして生きるつもりもないのに、
わざわざ来たん?!」
「なんで私をこんなに苦しめるん?!」
と、私は激しく激しく、恨みました。
お前なんか嫌いや!出ていけ!!
と、お腹を殴りました。
嫌い!嫌い!嫌い!
もうこの瞬間の私は、
とにかく憎しみでいっぱいだったのです。
そうしてぐちゃぐちゃになりながら眠り、
朝起きたころには、
意外と気持ちはスッキリとしていました。
あぁ、私はもう流産を受け入れたんだ。
とこの時は、そう思いました。
夫はというと、
赤ちゃんがもうダメという事については
まだ懐疑的なようで、
その朝も変わらず私のお腹を撫で、
「おはよう~」
と言ってくれました。
しかし、私はそんな夫に対して、
「もういないよ」
「明日はもうダメなのを
確認しに内診にいくからね」
と冷たく言い放ったのでした。
不思議なことに、
”赤ちゃんが既に死んでいる”
ということだけは、
なぜか自信たっぷりだったのです。
【7w6d】いびつな形の卵嚢。ほぼ流産確定。
そして迎えた3度目の検診。
エコーで映し出されたのは、
大きくいびつにゆがんだ空っぽの卵嚢でした。
8週目に近いのに、
心拍はおろか、胎芽すら見えず空っぽ。
映し出された瞬間に、
”今回もやっぱりダメだった”
ということは、明白でした。
それでも無言で必死に
赤ちゃんを探してくれる先生を見ながら、
(どれだけ探しても、いないよ。)
と、私の心は冷静でした。
そうして長い沈黙のあと、
ようやく先生の口から、
「この大きさで赤ちゃんが見えないのは…
難しいと思います」
と告げられたのですが、
それに対し、私は
「はい、そうだと思います」
と返事をしただけでした。
看護師さんは気の毒そうに
私を見つめていました。
私はその絡みつく視線が
嫌で嫌でたまりませんでした。
どうにか正気を保っている心に
穴を開けられそうな気がしたからです。
2度目の流産が確定したあとの心境
3度目の検診にて、
2度目の流産がその日、確定しました。
私の心境はここからがもう、
ひどいものでした。
流産確定当日
診断を受けたその日は意外にも
かなり平然としていて、
ほとんど泣かなかったし、
なんならそのまま
近所の飲食店へランチで出かけ、
美味しいものを食べながら
夫婦で今後について話し合いをしました。
私は一日中、あっけらかんとしていて、
もう流産は割り切った
と心からそう、思っていました。
立て続けの流産です。
なのに本当にそう、思っていたのです。
「悲しみのピークは今日じゃなくて、
流産を確信したあの日だったんだ。」
「私はもうあの日に気持ちを
切り替えたから、大丈夫。」
「こういう経験もまた、
私の人生を深めてくれるよね。」
夫にはそう、話しました。
また親族にも、
「また流産しちゃった~。
でも平気やねん、分かってたし!」
と連絡をしました。
本当にその時は、平気だったからです。
しかし、その日、 現実に目を向けろと言わんばかりに、 夜、眠りにつくと流産する夢を見ました。
とはいえそれでも、初日は
「流産する夢くらい見るよなぁ」
とのんきでした。
流産の夢ばかり
それから流産が確定した翌日、
私はわざとショッピングモールへ出かけ、
「あれも欲しい」
「これも買わなきゃ」
と歩き回りました。
別に忘れたい、考えたくない、
と直接考えていたわけではなかったのですが、
家でじっとしていられなかったのです。
結果、忙しくしたおかげで、
赤ちゃんのことはこの日、
ほとんど考える時間が無く、
自分が流産している。
という事実すら、忘れかけていました。
しかし結局、この日もまた、
流産する夢を見てしまいました。
ナプキンいっぱいに血が溜まる夢を見て、
夜中に目が覚めました。
実際に今、起きたことかも…
と思い、あわててトイレに行きましたが、
出血はありませんでした。
結局それで目が覚めてしまい、
その日は眠れず朝を迎えました。
それから迎えた次の日も、
やはり何かで忙しくしたいと、
一人で大阪へ出かけました。
そして前日と同様、せわしなくお店をまわり、
あれこれと買い物をしたので、
その日も赤ちゃんのことは
ひとつも考えませんでした。
なのにまた、夜には流産する夢を見ました。
両手いっぱいにレバー状の塊が、
どっぷりと乗っている夢を見て、
ぎょっとして夜中に目が覚めました。
こうして3日連続で流産する夢ばかり見て、
また、眠りも浅く、
いよいよおかしくなりそうでした。
孤独を感じるようになった
そして迎えた3日目。
やはりこの日も引き続き
家にいたくない気持ちはあったのですが、
もうショッピングモールに行く用事も、
人混みへ紛れる理由も、
私にはありませんでした。
流産の夢は見るけれど、
別に平気だし。
まぁ、家で過ごすか。
と思っていたのですが、
本を読んでも内容が頭に入らず、
ブログを書こうにも文章が正しく
打てず、
何も手につきませんでした。
しょうがないから、昼寝でもするか…
ということで、お昼を食べたあと、
夫に、
「疲れたからちょっと寝ます」
と伝えて、布団に潜り込んでみると、
急に、全く意図していなかったのに
涙がぽろぽろとこぼれ始めました。
え…なにこれ?なんで??
なんの涙?
と私が一番、自分に対して困惑しました。
流産のことなら私、割り切ってるやろ?
と考え、自分を落ち着けようとしても、
後から後から涙が溢れだしました。
そして、
私はそうなって初めて、
自分が流産を本当は乗り越えられていない
ということに気づいたのでした。
今思えば当たり前なのですが、
本当に流産が確定してから3日経つまで、
”私はとても悲しんでいる”
という自覚が、出来なかったのです。
そうして悲しみを自覚してみると、
今度は段々と、
激しい孤独を感じるようになりました。
親族には当日、
「流産したけど全然大丈夫!」
と連絡したせいで、
”大丈夫そう”と思われているのが
急にとても辛くなり始めました。
そしてなにより、二人の子供の事なのに、
夫が全く悲しそうな素振りを
見せてくれないことが、
悲しくて、寂しくて。
この世界の誰も、
私の気持ちなんて分かってくれない。
誰も私がどれだけ悲しいかなんて、
分かってくれない。
赤ちゃんも去ってしまった。
私は独りなんだ。
と深い孤独を感じて大泣きました。
そしてこの日を境に、
「私の気持ちを理解してくれない!」
と夫を責め続ける日々が始まりました。
「やっぱり妊娠出産は私だけの出来事やん」
「なんで寄り添ってくれへんの?
なんでどうしてほしいか、
分かってくれへんの?」
と毎日毎日、私は夫を罵り、
家の中の雰囲気は、
日に日に悪化していきました。
【8w5d】流産手術後、初めて感謝できた
こんな感じで、
ある日は絶望して大泣きして。
そして大泣きしたらちょっと
すっきりするから、
また自分は元気だと思って。
そしたらまた急に大泣きして…
と、流産確定後は、
はげしい気持ちのアップダウンを
延々と繰り返していました。
気が変になりそうでした。
そうこうしているうちに、
いよいよ流産手術当日となりました。
流産確定後から、
およそ1週間後の事でした。
当日は、
「私、もう平気」
と思っていた日だったので、
手術直前までずっと
ヘラヘラとしていていました。
病室では本をだらだらと読み過ごし、
今日が赤ちゃんと過ごす最後の日…
といった感傷的な気分になることは、
一切ありませんでした。
看護師さんが、
「大丈夫?気持ちとか…」
と聞いてくれた時、
「はい、全然大丈夫です!」
と明るく答えたら、
すこし心配そうにされたのを覚えています。
そして迎えた手術。
前回と違って
今回は静脈麻酔での手術でしたが、
先生の腕の良さのおかげで、
(前回とは病院を変えました(笑))
痛みや苦痛は一切無いまま、
一瞬で終わりました。
手術が終わった直後に目覚め、
最初はあまりの素晴らしい手術に
感激していたのですが、
病室に運ばれ一人になった途端、
ぼろぼろと涙が零れ落ち始めました。
バカみたいでしょう。
平気だって思っていたのに、
やっぱり私平気じゃなかったって、
またこの日、例にもよって
同じことをくり返したのです。
でも実は、この時はいつもと
決定的に違うことがありました。
それは、これが
悲しみの涙ではなかったこと。
孤独感を感じての涙ではなかったこと。
ずっとずっと、
自分の中から追い出していた、
赤ちゃんの存在。
それを感じて、泣いたのでした。
赤ちゃん。
赤ちゃん。
私とだいきくんの、二人の赤ちゃん。
どうしていまさら、
こんなに愛おしさを感じるの…?
私たちを、選んでくれて、
ありがとう。
私のお腹にきてくれて、ありがとう。
最後はずっと、憎んでてごめんなさい。
前回の手術があまりに痛くて怖かったから、
流産ってなったときに、
また私を苦しめ痛めつけるんだって、
思い込んじゃってた。
でも手術って、本当は痛くないんだね。
苦しくなかったんだね。
なのに勝手に私を苦しめる存在だって、
思い込んでてごめんなさい。
選んでくれてありがとう。
そのことに今は、本当に感謝してる。
憎んだままのお別れにならなくて良かった。
ありがとう。ありがとう。
そして、永遠にさようなら。
もう誰もいないお腹をさすって、
私は赤ちゃんに、感謝し続けました。
手術後は夫婦破綻の危機。毎日が地獄だった。
こうして手術が終わった当日は、
ずっと憎んでいた赤ちゃんに対し、
感謝を抱くことが出来て、
だいぶ気持ちは楽になりました。
とはいえ当然、赤ちゃんを失った
悲しみは完璧に癒えてはおらず、
私は引き続き孤独を感じ続けました。
とにかく”だれも分かってくれない”
という思いに苛まれ続けました。
そしてその感情は夫に牙を向き、
手術後も毎日毎日、
「だいきくんは、全然優しくない!」
「私の事、一つも分かってない!」
「私だけが苦しい!私だけが痛い思いをする!
私だけが赤ちゃんのこと考えて
悲しんであげてる!」
と喚き続けました。
そしてとうとう、
「だいきくんとの結婚したんは
間違いやったかもしれん!!」
と、いよいよ”離婚”というワードが
私の中にチラつき始めました。
やっと手術が終わったというのに、
まるで地獄のような日々でした。
2度の流産で二人ともボロボロになった
一度目の流産の時も、思い返せば
私たちは喧嘩ばかりしていました。
どんな喧嘩だったのか、
細かい内容はもう忘れましたが、
とにかく毎日毎日喧嘩ばかりして、
最終的には二人ともかなり疲弊してしまい、
「一旦ほんの少しの間でも距離を置く?」
という話にまでなったのを覚えています。
その時も今回も、
流産後の私の心の根底にはおそらく、
”夫が流産の悲しさを理解してくれない”
”夫と私の子供のことなのに、
何故か流産の苦しみを一人で抱えている”
という気持ちがあったのだと思います。
(それを私自身が自覚していたかは別として)
そしてその悲しさ、寂しさ、孤独感は
怒りとなって表に現れ、
事あるごとに夫を責め続けました。
本当に辛い日々でしたが、
一度目の流産の後は、
それでもなんとか
乗り越えることが出来たのです。
しかしそれからたった3か月後の、
2度目となる流産では、
もはや私の心は正常を保つことが出来ず、
これほど寄り添ってくれない夫とは、
もう離婚するしかない。
という考えしか出来ませんでした。
また、その考えは、
日を追うごとに加速していき、
私は、私の期待通りに悲しんだり、
寄り添ったりしてくれない夫に対し、
(自分たちの赤ちゃんが死んでしまった時、
同じだけ悲しんでくれる人と結婚すべきだった。)
(これだけ価値観が違う人とはもう、
離婚するしか、道が無い)
と本気で絶望していました。
赤ちゃんもいなくなってしまった。
悲しいときに寄り添ってくれる夫も、
この家にはいなかった。
そんな絶望が怒りとなって、
夫に毎日罵声を浴びせ続けました。
夫はこれらの罵声を、何も言い返さず、
ただ黙って受け入れ続けました。
さらに、
「うまく寄り添えない自分がいけない」
と、ただ自分自身を責め続けました。
その結果、夫は自分の自信を喪失し、
片頭痛になり、夜も眠れなくなりました。
私たちは、
2度の流産で、
二人とも、
ボロボロになってしまったのです。
残留物がたっぷり出た…!
こうして気持ちも穏やかでないうえ、
手術後にはひどい腹痛に見舞われ、
3日間は家から外に
出ることが出来ませんでした。
5日分処方された痛み止めは
3日目の朝にあっという間に底をつき、
どうしようも無い痛みに
うんうん耐えていると、
4日目の朝、
なんと子宮から大きな血の塊が
出てきました。
前回はこういった経験が無く、
ずるんっ
と血の塊が出てきたときには、
人間の神秘に感動してしまいました。
そしてそれらがすべてスッキリ
出てしまうと、
お腹の痛みは無くなり、頭痛も消え、
体調はみるみる良くなりました。
子宮が軽くなったような気がして、
身も心も、晴れやかになり、
「これで本当に終わったんだ」
と、そう、実感しました。
とにかくひどいお腹の痛みから
解放されたことにより、
徐々に心にゆとりが出始めました。
カウンセリングで何とか離婚回避
それからも夫婦関係には相当
苦しみましたが、
ある日もう限界だと感じた夫が、
「もう二人じゃ解決できない」
「カウンセリングを受けよう」
という提案をしてくれ、
信頼する先生の元で
カウンセリングを受けました。
結果、紆余曲折ありましたが、
なんとかお互いの気持ちを
受け入れることができ、
私たちは以前にも増して、
良い関係に戻ることが出来ました。
今思えば、今回の離婚騒動も、
なぜそこまで大ごとになったのか。
と思うほど、結局は些細なことでしたが、
2度の流産を経験した私は、
これまで二人が乗り越えた絆や
経験を一つも顧みることなく、
自分が幸せになるためには、
もう離婚するしか方法が無いと喚くほど
錯乱状態に陥っていました。
正常な判断が、できなかったのです。
しかしそんな私の目を覚ましてくれたのは、
夫の深い、私への愛情でした。
「絶対自分たちは二人でいたほうがいい」
絶望し大泣きしている私に、
夫はこう、言ってくれたのです。
この言葉が、私の孤独を癒してくれました。
最後に。同じく流産した方へ。
ということで、
以上が2度目の流産体験記でした。
2度目の流産というショックはもちろん、
それに付随して起きた夫婦の離婚危機や、
流産手術後の自然排出体験など、
本当にいろんなことがありました。
そして、今回それらを通じて感じたことは、
まず何事においても、
自分の気持ちには、
絶対自分で嘘をついてはいけない
ということです。
私の体験談をお読みいただいても
お分かりになると思いますが、
私は、
「もう大丈夫。全然平気。」
と何度も自分自身で気持ちを偽ったせいで、
心が余計こじれてしまったのです。
悲しいとか、不安だとか、
そういう気持ちは
見えないように奥へやっても、
植えつけられた種のように、
そこにずっとあるのです。
さらにその種はいつしか根を張り、
ずっとずっと苦しみ続けることになります。
だから、大切なのは、
考えるのが辛い、苦しい。
という気持ちであっても、
奥へ追いやらず、
その感情を自分で認め、
思いっきり感じて、癒すこと。
悲しかったら大泣きしたほうが良いし、
不安なら不安だと声に出して
めいっぱい感じたほうが良い。
これは、本当に、大事なことです。
そしてこれは流産した方に特に
お伝えしたいのですが、
誰に対しても、
「流産したけど、今はもう大丈夫。」
なんてどうか言わないでください。
大丈夫じゃないのに
そう言ってしまうと、
「大丈夫そうなら良かった」
と言われたときに、
とてつもない孤独を感じてしまいます。
それに、2回経験して分かりました。
流産したけど大丈夫。
なんてことは、
永遠に訪れないということを。
だって流産といえ、そこにあった
”命が尽きた”のですから。
時間が傷を癒すことはあっても、
その悲しみは無くなることなど、
ありえません。
流産した女性は、
死ぬまでこの悲しみを
背負って生きていくのです。
残酷に感じたかもしれません。
でも、果たして残酷なだけでしょうか。
私には、こうして悲しみを
背負っていくことは同時に、
私たちの元に来てくれた
赤ちゃんのことを忘れず
永遠に感じてあげられる方法でもあると、
思うのです。
心配してくれた親族や友人には、
ぜひ
「心配してくれてありがとう。
また元気になったら遊んでね」
とだけ言ってください。
無理して元気になろうとする必要は、
ありません。
自分の心に素直になって、
どうぞお身体をお大事にして下さいね。
それでは。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。